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 思い出しても、小心者の僕が、ぞっとすること

 

 華やかに見える(?)国際交流、事故が起きると、目も当てられない。実際、何のことか忘れたけど、ある主婦の方がイベントを行い、イベントは成功したが、500万円だったかの赤字が出て、個人で負担したという話を、直接、伺ったことがある。

 

 僕もまた、ある団体から助成金がでる(決定した)ということで、イベントを進めていた詰めの段階で、助成金は出ないとなった。海外から、高校生を招待する企画でホテルも予約済。日本の生徒も同宿して、活動する企画。途中でやめるわけにはいかない。

 

 ISoNという企画だったが、まさに、「僕(アイ)損(ソン)」となった。まあ、この時は、払えない額ではなかったのが幸いした。生徒たちは、この企画が一番よかったと、言ってくれたので、悔いはない。

 

 僕が今でも思い出すたび、ぞっとするのは、2004年、大阪の高校生11名(10名+1名)をニューヨークに引率した帰りの話。この「安全プロジェクト」という企画、現在の国際交流基金から助成金を受けて実施。

 

 米側団体から、ニューヨークのハーレム内の学校の生徒宅でホームステイという話が来たとき、「ハーレム?子供を ハーレムに送る保護者はいない」と、No と返答した。そこで、米側担当者が僕を人種差別主義者と考えた節があり、メールのやり取りが、かなり、感情的となっていた。

 

 こちらが、クールに返事をすればするほど、「あいつは、お高くとまっている」という感じで、感情的なメールが返ってくる。逆に言えば、米側担当者は、非常に真摯にこの企画を考えていたのだろう。

 

 だが、ぞっとするというのは、その激しいやり取りではなかった。日本側の最高責任者(某高校長)に、「どうしましょう?」と相談すると、「やれ」と言ってくれたのだが、これが無ければ、せっかくの企画、助成金、関係者の努力、みんな水の泡となっていた。

 

 話は横道にそれるが、タイミングというものがあると、この時は、痛感した。というのも、日本側最高責任者、この 方、民間出身の方。それ以前、それ以後の 僕が所属した組織の責任者だったら、ぜったい、こんな危険を冒すことを了承しない。たまたま、その方が責任者になっていた期間だったので、ハーレムにホー ムステイさせる、こんな企画が実施できたのだった。

 

 だが、僕がぞっとするというのは、一週間の滞在を終えて帰国の途、地下鉄でJFK国際空港へ向かうときのこと。空港行きのA列車を待っていたところ、なんと、40分たっても、その列車が来ない。

 

 飛行機の出発時間が迫ってくる。タクシーで行こうという生徒。もし、飛行機に遅れたら、「アイソン(ISoN)」と言ってられない。

 

 「こんなに遅れることあるの?」と、隣のアメリカ人に尋ねると「いつもだよ」。

 

 さて、やってきた列車、これ、空港行くか、と尋ねて乗車。

 だが、途中で、この列車、空港に行かないことがわかった。Y字型、つまり、この線は、途中分岐する。乗り換えないといけないってことがわかった。

 

 だが、どこで乗り換えたらよいのか分からない。同行した別の先生が、ある駅で「辻先生、ここで降りましょう」と提案。「いや、もうちょっと乗りましょう」、次の駅、分岐点の駅で降車。だが、すぐ、空港行の列車に乗り換えないと間に合わない。

 

 と、先生、あの列車(隣のプラットホーム)、空港行ですよ、と生徒だったか、誰かが叫ぶ。ということで、なんとか、まにあった。

 

 この時、浪人生だった長男をもう少し滞在させたいと、空港に残したのだったが、こんな顛末を見た彼の心細そうな顔が忘れられない。

 

 彼の分は、自費で連れて行ったので、もう少し、長期滞在させたかったのだ。

 

 ということで、この文章を書いたあとは、もう、思い出しても、ぞっとすることはなくなる?

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