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 母を見ながら、息子たちへ


While taking care of my mother, soon 91, I think of my old age and of my three sons. I would like them to know that they should lose no time leaving me to the others in charge of senior citizens when they find their father bothering their life.

 

 毎日、母を見ながら、自分の老いを考える。少ない年金生活から、毎週のように、お小遣いをもらっている平良は、「胸が痛む」と言う。母に伝えると、「じゃあ、胸の痛いのを治すために、もっと(小遣い)、やろか」とジョークを飛ばす。

 

 瞬間記憶で一日一日を暮している母だが、会話の反応は実に速い。逆に、くどくど、どこが痛いとか言うのを無視すると、「わが子でも、こんなんやから、人(他人)は聞いてくれへんのは当たり前や」とか、恨み節を発する。

 

 インフルエンザの注射以来、左腕が痛む。ある時は、治った(痛みがとれた)と言うこともあったが、痛みが持続しているらしい。「医者に行けば」と言うのだが、また、注射されて悪くなったら、とか、なんとか、ぐじぐじ言っては、毎日、毎時間、同じことを言う。

 

 「インフルエンザの注射は、11月か12月頃のはずだから、それが原因とは考えられない」と言えば、「何を言ってるんや。注射を打った時から痛いんやか ら、注射が原因に決まってる!」と強烈パンチ。この「決めつけ」が、「周囲」の心を遠ざける。だが、もう、それが分からなくなっている。

 

 母を見ながら、僕は、息子たちに伝えようと思う。もし、僕が、お前たちの生活に支障をきたすと考えたら、それが、とっても些細なことであっても、僕を施設に入れること。

 

 僕が自分で施設に入ると決められる能力がもうなくなっているかも知れない、その時のために。

 

 僕がお前たちを育てるのに、どれだけ、力を注いできたか、お前たちは知っている。だから、息子たちとして、何とかしないといけない、そんな気持ちがあったとしても、決して、それは考えるな。他人の手に任せるように。

 

 親は子供の幸せを願っている。それを脅かすことは決して望まない。これが、まだ、脳が正常に働いている時の、本音なのだ。お前たちには、父のこの本音を大事にしてもらいたい。

 

 もし、僕がこの思いを伝えられずに、もしものことがあったら、この一文を読んでくれる友人が、伝えてもらえないか。そんな思いで書いた。

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