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2000年前の聖パウロに、僕がつぶやいた「不信」の言葉 @地中海マルタ


Once safely on shore, we found out that the island was called Malta. Acts 28/01

 

 Today in the rain, I visited St. Paul's grotto, located under St. Paul's Cathedral, Rabat, Malta. I remembered one phrase of Paul in the letter to Romans, which I had read many times when young as an evangelical Christian. Now, around fifty years later, those days revived vividly in my memory, though I have completely lost faith in the religion.

 

「わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。」使徒行伝/ 28章 01節

 

 道を挟んでMdinaの向かい側がRabat、聖パウロ教会は、そこにあり、その地下の洞窟で、船の遭難から助かったパウロが布教したと言われている。もし、パウロがそこで溺れ死んでいたら、人類の歴史は変わっていたろう。ふと、そんなことを思う。

 

 そこへ行く前に、教会近くの死者の埋葬地、地下のカタコームに行く。洞窟の中に、埋葬された死者が安置された小部屋というか、棺大の深さに掘られた穴が、各所にある。穴の中は、空っぽだが。

 

 あ、途中でウオーキングの60代の二人のおじさんが、近くまで案内してくれた。今の政権は、退職者の年金を優遇してくれ、年金額が増えているとか、言っていた。

 

 さて、カタコーム、昔、キリスト教会に通っていた頃、耳にした言葉。ローマ時代、迫害をのがれ、地下の墓所に隠れ、礼拝した場所。ここRabat,のカ タコームでは、キリスト教徒以外に、ユダヤ教徒など他の宗教信者たちも埋葬されているらしい。中には、ギリシャ語で、「さようなら」という言葉が記されて いるとのこと。死者の親族以外に、泣き女のような人たちが、葬列に加わっていたらしい。

 

 僕の葬式では、子供たちは泣かないでほしい。もう、父は、お前たちに、やれることはやったし、お前たちから、たっぷり楽しませてもらったのだから。ふと、また、なぜか、こんなことが頭に浮かぶ。

 

 パウロが宣教したと言われる底辺の床が10畳くらいの広さの洞窟。床には、埋葬されている聖者たちの名前が刻まれている。

 

 ここに佇んでみると、2000年前のパウロを思い、「若いころ、あなたの影響を受けて、あなたの思想の基本が書かれているローマ人への手紙を読み、今で も、”律法が入って、罪を知った”だったかの言葉を思い出します。70歳近くなった今は、もう、あなたの声は、私には、届かなくなりました」と、そっと、 つぶやいた。

 

 注:聖書、正確には「というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。」

 

 この洞窟にもカタコームがあり、新しく掘られた洞窟も含め、ナチスドイツの攻撃から、大勢のマルタの人々を救ったとの掲示がある。が、空襲を避けて入っ たシェルター部分とは異なり、埋葬されたカタコームへの道が、体一つ、入るのがやっとの狭さ。さすがに、一人で奥へ入っていくのは、気持ちが悪く、そうそ うに出てきた。

 

 帰り、202番バスが、なかなか、やってこず、やっと、やってきたと思えば、雨の中、渋滞に巻き込まれ、4時過ぎのバス待ちがホテル着が7時半ころになった。

 いよいよ、明日は、帰国の途につく。寮生活二日目が終わろうとしているが、平良から、何の連絡もない。

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