この野生の地から抜け出したいなら、
おまえは別の道を旅する必要がある。
(ダンテ「神曲」)
"You are destined to take another route,"
"If you want to be clear of this wilderness,
Inferno - Canto I 91,93
慣れた道が険しいと思ったとき、人は新しい道を志向する。その勇気がない人は、安住できない道と嘆きながらも、あきらめの中で、慣れた道に留まる。
勇気を持って新しい道に進む人が、その道が思いのほか険しいと、時に、後に残してきた道を振り返る。ひょっとして、そこに何か変わりがないかと。そして、その「後ろ向き」の好奇心で、ロトの妻は、塩の柱になった。
新しい道が険しくとも、一歩、進む人には、新たな視界が現れる。その視界がどのようなものであれ、苦しいものであれ、「新しい視界」として、受け止められるか。
あまりの険しさに、志半ばで倒れたとしても、誰が責めるだろう。悪徳のソドムを懐かしみ、振り返ったロトの妻を責める人がいたとしても、リスクを取って倒れた人を、責める人はいない。いや、ここまで書いて、僕は、ふと、現実に戻った。
「現実」は、逆。それ見たことかと、あざ笑うひとの方が多いのでなかったか。「広い門」から入った人から見れば。
だからこそ、リスクをとる人生は、悲しくも美しい。
リスクは、表の「勇気」の裏に「悲しみ」と「美しさ」が隠れている。リスクをとって、「表」が敗れ、悲しさに踏みつぶされたとしても、その姿は人の心を うつ。人はこれを滅びの美学と呼ぶかも知れない。だが、有象無象が跋扈する「現実界」にあっては、美学に終わることは、余りに悲しい。
勝利の美酒を飲むまでは、、、。
残念ながら、僕の人生、最後に美酒を飲んだのは、いつのことだろう。いや、飲んだことがあったろうか。v